東日本大震災 2011.3.11(金)

3月11日16:00前、仙台空港にて待機中 津波により車輌を流失。

襲来直前に空港警備の方の呼びかけで15時半頃ターミナル内へ避難。
まもなく川の流れのような津波が押し寄せ、 車や木が流れていった。

 … …

海岸は水位約8m、500m内陸にある空港は3mを超えた。建物中2階辺りまで。

やがて日没(停電)でよく見えなくなったが、月明りで雪が舞っているのと瓦礫が散乱しているのが見えた。

1階のほうを覗いてみると土砂や流木で通れないように思われた。

一階出入り口から寒風が吹き込み多分外気温(-0~-3℃)と変わらぬ寒さだった。

空港職員の方から配られた梱包用ダンシートやビニールシートを体に巻いても、尚寒く眠れぬ夜を過ごした。

普段なら白んで見えにくい仙台市街がうっすら見え、星(南側にはオリオン座)や半月もよく見えて非現実的な感じだった。

翌12日朝から自衛隊他のヘリコプターが見え、14:00頃には正面(南側)から消防救助隊(制服に富山県射水)の方が到着。少し退いた水面にゴムボートを引き、身体の不自由な方から救助が始まった。 

16:00頃さらに水が退いた滑走路側から救急車や小型バスが到着して救助も進み、 自分は18:30頃バスで名取駅まで送ってもらい家に着いたのは20時頃でした。

この日空港を脱出した方は、付近の特老ホームからの避難者や比較的家が近い希望者だけで、約100名ほどだったように思います。
事前に「外は停電、交通もストップの、無理せずここで様子を見たほうが良い」と説明されたからでした。
後に約1600人が数日間空港に居たことを知りました。

○ 空港関係者の方々、救助にあたってくださった消防隊、自衛隊、関係の方々、本当にありがとうございました。

震災 証言